【2003年度】慶應義塾大学法学部小論文解答例「臓器移植・公共性の問題」

臓器移植サムネイル 小論文
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平成15年度【2003年度】慶應義塾大学法学部小論文解答例「臓器移植・公共性の問題」です。

【問題】著者の議論を踏まえて「公共化される身体」という考え方に関するあなたの意見を述べ、それと関連づけて、公共性の問題一般について、自由に論じなさい。
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【ある人の例】臓器移植・公共性の問題(慶應法2003)の小論文

臓器移植という個人を越える間身体的な医療行為では、臓器提供者と手術受ける人の相互の不可分性と自律性は解体されて組み替えられ、その組み換えは。第三者としての医療機関の介入によって支えられることになる。このような医療化された社会では、個人の境界が薄れてゆき死が見えなくなっていき、殺すと壊すの違いも感知しにくくなった。フーコーが言うように権力は、人間を個別化する形で行使される死を与えることで、機能する権力からひとまとまりの置き換え可能な集合的人間を対象に行使される死を放置する。生を管理する権力へと性格を変えた。そして様々な局面から分析しそこに、「バイオポリティクス」の誕生をみた。そこでは死による個別化は重要でなく、死は権力の管理から次第に排除される。生命には機能はあっても象徴的意味はないとされる。現在の状況は、その延長線上にあり、身体は、「わたし」から離れ無名の公共性に委ねられようとしている。以上が筆者の主張である。

私は身体の公共化は避けることができないのではないかと考える。確かに個人の意見を尊重することは、重要である。しかし、臓器移植などの身体の問題に関して言えば、公共化を行わなければ、かえって臓器の商業化が進んでしまうのでないだろうか。現在、公共機関が臓器の利用と分配を決めている。それが、個人の意思に完全に委ねてられてしまうと臓器提供を受けることは、特権的な人や金持ちの人しかできないということになってしまい不平等な状況が作られるてしまうだろう。したがって、医療技術が発達した現在、身体に委ねる関わる問題が公共性にある程度、委ねられることはやむを得ない。

それでは、この問題も含めた社会の諸問題に対して、公共性はどのように関わっていけばよいのだろうか。社会の利益と意思である公共性はしばしば個人と対立する。具体的な例が、沖縄の米軍基地問題である。米軍の存在のおかげで日本は、平和が保たれている一方で、現地の人々は航空機の事故や騒音などに苦しんでいる人も多い。このような場合、公共性やその側に立っている人間は、その実現を第一にして、多少の犠牲は目を逸らしてしまっていることが多い。いつまでもこの対立は終わらないだろう。そうではなく公共性を実現するにあたって、副次的に起こる悪影響をなくすことはできずとも最小限に抑え、個人に対して歩み寄ろうとする姿勢が必要だろう。

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【添削・アドバイス】臓器移植・公共性の問題(慶應法2003)の小論文

1.文法・表現の修正
いくつかの文が冗長だったり、文法的に少し不自然だったりする箇所があります。それらを修正して、簡潔かつ明瞭な表現に変更します。

元文:「その組み換えは。第三者としての医療機関の介入によって支えられることになる。」
→ 修正後:「その組み換えは、第三者としての医療機関の介入によって支えられる。」

元文:「殺すと壊すの違いも感知しにくくなった。」
→ 修正後:「殺すことと壊すことの違いも感知しにくくなる。」

元文:「臓器提供を受けることは、特権的な人や金持ちの人しかできないということになってしまい不平等な状況が作られるてしまうだろう。」
→ 修正後:「臓器提供を受けることが特権階級や富裕層のみに限定され、不平等な状況が生まれるだろう。」

2.主張の論理構成を整理
文章全体の論点を分かりやすくするため、以下の流れを意識して再構成してみてください。

導入部:臓器移植と身体の公共化の問題提起
臓器移植における個人性と公共性の対立について、課題を端的に提示します。

主張1:公共化の意義と必要性
臓器移植の公共化を進めなければならない理由(例:商業化の防止、不平等の是正)を論じます。

主張2:公共性と個人の関係性の課題
沖縄の米軍基地問題などの具体例を用いて、公共性と個人の利害が対立する状況を説明します。

結論:公共性が取るべき姿勢
公共性を実現するにあたって、個人の利益との歩み寄りが重要であることを示します。

3.接続詞の工夫
現状、接続詞が少なく、文と文のつながりがやや唐突に感じられる箇所があります。以下の接続詞を適宜追加することで、論理の流れがより明確になります。

「しかしながら」:対立する意見や主張を提示する際に使用
「たとえば」:具体例を挙げる際に使用
「したがって」:結論を導き出す際に使用

4.結論部分の強化
最後の段落で「公共性が個人に歩み寄るべき」という提案は重要ですが、具体性がやや不足しています。どのように歩み寄るべきか、具体的な施策やアプローチを提案すると説得力が増します。

例:「例えば、沖縄基地問題においては、地元住民への補償や支援を強化し、騒音対策や事故防止策を講じることで、公共性の実現と個人の利益のバランスを取る努力が必要である。」

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【全体修正案】臓器移植・公共性の問題(慶應法2003)

臓器移植という行為は、個人の身体を越えた医療行為であり、臓器提供者と受容者の境界を解体し、再構築する特徴を持つ。このプロセスは、医療機関という第三者の介入によって支えられている。こうした医療化された社会においては、個人の身体の境界が曖昧になり、死や「壊すこと」と「殺すこと」の違いすらも見えにくくなっている。

フーコーが指摘したように、権力はかつて「死を与える」ことで機能していたが、現代では「生を管理する」形へと変容し、死は次第に権力の管理から排除されつつある。その結果、身体の象徴的意味は薄れ、「わたし」の身体は無名の公共性に委ねられつつあるのが現状である。

私は、この身体の公共化は避けられないと考える。臓器移植における個人の意思を尊重することは重要だが、公共機関がその利用と分配を管理しなければ、臓器の商業化や不平等が進む可能性が高い。特権階級や富裕層のみが臓器提供を受けられる社会は、公平性を欠いたものとなるだろう。したがって、医療技術が発展した現代において、身体に関わる問題が公共性に委ねられるのはやむを得ない。

しかし、公共性と個人の対立はこの問題に限らない。たとえば、沖縄の米軍基地問題では、日本全体の平和を保つために基地の存在が必要とされる一方で、地元住民は航空機事故や騒音に苦しんでいる。このように、公共性の実現が個人の犠牲を伴う場合、その悪影響を完全になくすことは難しいが、最小限に抑える努力が求められる。具体的には、住民への補償や支援策を充実させることで、個人の利益に歩み寄る姿勢を示すべきだ。

公共性は社会全体の利益を追求する上で重要な役割を果たすが、個人との対立を避けるためには、柔軟で共感的なアプローチが必要である。こうした姿勢こそが、公共性の本来の意義を全うする方法であると考える。

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【発想・着眼点】公共性の問題についての新たな視点

・「公共の福祉」を前提とした「当事者意識」という視点。Aさんが今回例示した米軍基地問題の件もそうですね。自分の立場とは、反対の立場にある人になってみる、想像してみる「当事者意識」が大事ですね、今回の記述にも、「公共の福祉」「当事者意識」といった文言があるとよかったと思います。「公共の福祉」「当事者意識」という視点を挙げたのも、慶應法は、繰り返しなりますが、どこまで「基本的人権」の範囲が及ぶのかという受験生の見解を示させる課題が多いような気がします。

※「公共の福祉」…ざっくりいえば、社会全体の共通の利益。ほかの人の人権との衝突を調整するための原理。

・国民の臓器提供の意思表示が低い段階(臓器提供意思表示カード自体の存在または存在医を知らない人も多い状況)で、公共性は担保されるのかという視点。つまり、イニシアチブ(主導権)を特定の人達・機関に委ねてしまうことになりかねないという問題意識。「公共の福祉」の濫用につながりかねない。

日本国憲法第12条
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」

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