【2021年度】青山学院大学地球社会共生部小論文解答例「感染症」です。一部改題です。
課題文Bにおいて、筆者は、グラフを根拠のひとつとして、傍線部➁にあるように、感染症を根絶せず、多少の犠牲は払いながらも、 感染症と共生していくことが望ましいと主張しています。筆者の考えに賛同できるか否か、グラフも参考にしながらあなたの考えを600字以内で述べなさい。
【ある人の例】青山学院大学地球社会共生部小論文2021解答例「感染症」
私は筆者の考えに賛同する。
このように考える理由は3つある。1つ目は、感染症は目に見えないものの流行なので、世界や社会全体での根絶は不可能だからだ。2つ目はコロナ禍のマスク着用やワクチン接種などどのように対処して、和らげるかが重要であり、一早い対応につながるからである。3つ目はグラフにも表れている通り、1度の感染やワクチン接種を通して免疫を獲得する人が増えたときに、20日から40日程までは感染者数が増えるが、それ以降は流行前と同様の感染者数に保てているからだ。
一方で、一部でも感染による犠牲者がいるのなら、根絶を目指すべきだと言う意見もある。しかし私は2つの理由から矯正を目指す方が正しいと考える。1つ目は今までの歴史である。人類は天然痘の流行時に初めてワクチンという感染症の共生を可能にするものを発明した。つまり共生を目指すと言う発想が、多くの人の命を救った。2つ目は犠牲者の数である。根絶を目指すとなると、薬の開発に長い年月が必要となり、その間は誰も感染症から身を守る術がないだろう。なので、一定の犠牲者は少し生まれてしまうが、全体を見たときに共生を目指す方が犠牲者の数は少なくなると考える。
以上のことより私は筆者の意見に賛同する。
【アドバイス】青山学院大学地球社会共生部小論文2021
1. 導入部分の改善
冒頭の「私は筆者の考えに賛同する。」はシンプルで明確ですが、もう少し背景や前提を示すことで、テーマへの関心を引きやすくなります。
例:「感染症との向き合い方には、根絶を目指すべきという意見と、共生を目指すべきという意見がある。本稿では、筆者の共生を目指すという考えに賛同し、その理由を述べたい。」
2. 各理由の具体性を強化
理由は明確に分かれていますが、一部でやや説明が不足している印象があります。それぞれの理由に具体的な事例や根拠を追加すると、説得力が増します。
1つ目の理由について
「世界や社会全体での根絶は不可能だからだ」という主張は強いですが、「なぜ不可能なのか」を少し補足すると良いです。例えば、感染症の特性や変異ウイルスの問題について触れると説得力が高まります。
例:「感染症は目に見えない上に、ウイルスが変異を繰り返すため、完全な根絶は現実的に困難である。実際、インフルエンザウイルスも毎年新たな変異株が出現している。」
2つ目の理由について
「一早い対応につながるからである」という部分に、具体例を加えると良いです。例えば、コロナ禍における具体的な政策(例: ロックダウンやワクチン普及)が迅速な対処を可能にした事例を挙げると説得力が増します。
3つ目の理由について
グラフの説明は効果的ですが、どのようなグラフなのか簡単に触れると読者に理解されやすくなります。また、「感染者数が流行前と同様に保たれる」という部分を「減少する」に修正すると明確です。
例:「例えば、ある感染症において、1度の感染やワクチン接種で免疫を獲得した人が増えると、当初は感染者数が一時的に増加する。しかし、その後は感染者数が減少し、最終的には流行前と同程度の水準に落ち着くことが確認されている。」
3. 反論部分の強化
反論への対処は重要なポイントです。現在の内容は論理的ですが、もう少し冷静かつ客観的なトーンにすると説得力が高まります。
例:「一方で、一部の感染による犠牲者を考えると、根絶を目指すべきだという意見も理解できる。しかし、過去の歴史や現在の科学技術の限界を踏まえれば、現実的には共生を目指す方が全体として被害を最小化できると考える。」
また、「一定の犠牲者は少し生まれてしまうが」という表現はデリケートな問題を扱う際にやや強すぎる印象を与えかねません。「犠牲者を完全にゼロにすることは難しいが」などの表現にすると読み手への配慮が感じられます。
4. 結論の強化
最後のまとめ部分を少しだけ拡充し、主張を再確認しつつ未来への展望を示すと、より印象的になります。
例:「以上の理由から、私は筆者の共生を目指すという考えに賛同する。感染症に対して共生の道を選ぶことで、より多くの人々の命を守り、社会全体として持続可能な対応が可能になると考える。」
【全体修正案】青山学院大学地球社会共生部小論文2021
感染症との向き合い方には、根絶を目指すべきだという意見と、共生を目指すべきだという意見がある。筆者は共生を目指すことの重要性を主張しており、私もこの考えに賛同する。その理由は以下の三点である。
第一に、感染症の根絶は現実的に不可能である。感染症は目に見えないうえ、ウイルスが変異を繰り返す特性を持つため、完全な制御は極めて難しい。実際、インフルエンザウイルスは毎年新たな変異株が出現しており、これが流行の原因となっている。同様に、新型コロナウイルスについても、変異株が次々と確認されていることから、根絶は非現実的な目標と言える。
第二に、共生を目指すことが迅速な対応を可能にし、被害を最小化するからである。たとえば、コロナ禍においては、マスク着用やワクチン接種といった対策が短期間で普及し、感染の拡大を抑える重要な役割を果たした。これらの対策は、ウイルスを完全に排除することを目的とせず、感染症と共存しながら影響を抑えるという発想に基づいている。このような柔軟な対応が多くの命を守った事実を踏まえれば、共生を目指す方が現実的かつ有効であることが分かる。
第三に、免疫の獲得が感染症の流行を安定させることが科学的に示されている。たとえば、ある感染症において、多くの人がワクチン接種や自然感染を通じて免疫を獲得した場合、初期には感染者数が一時的に増加するが、その後は感染者数が減少し、最終的には流行前と同程度の水準に落ち着く。この現象は、グラフにも表れている通り、感染症が共生可能な状態に向かう過程として理解できる。このように、免疫の獲得が流行のコントロールに寄与する点からも、共生を目指す方が合理的である。
一方で、一部の感染による犠牲者がいる以上、根絶を目指すべきだという意見も理解できる。しかし、過去の歴史を振り返ると、共生を目指す発想が多くの人命を救ってきた。たとえば、人類が天然痘の流行に直面した際、ワクチンという画期的な技術を生み出し、感染症との共存を可能にした。この結果、天然痘の制御が実現し、多くの命が救われた。また、根絶を目指す場合、薬や治療法の開発に長い年月がかかるため、その間に感染症から身を守る術がなくなり、より多くの犠牲者が出る可能性が高い。一部の犠牲者が生じることは避けられないが、全体として被害を最小限に抑えるためには、共生を目指す方が合理的であると考える。
以上のことから、私は筆者の意見に賛同する。感染症に対して共生の道を選ぶことで、より多くの命を守り、社会全体として持続可能な対応が可能になると考える。このような考え方は、現在の感染症対策にとどまらず、将来の未知の感染症への備えとしても重要である。
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