【2019年度】長崎大学教育学部推薦の小論文解答例「言語の問題」です。改題となっています。
【問題】(問2)筆者が詳細な意味を学生から聞き取った上で「意味不明、定義不明」と言うのはなぜだと思うか。本文の内容に、言葉の使い方が世代や性別によって異なる傾向があることなどを加味し意見を述べよ。〔200字〕
(問3)最近身近に流行している新語を挙げ、従来からある意味の似た語と比較して、それぞれどう違うのかを説明せよ。上記を踏まえ、新語についてどう思うか自由に述べよ。〔400字〕
【ある人の例】共有できない言葉についての小論文解答例
筆者が言う「おたがいのあいだに共有できないでいる言葉」とは、話し手と聞き手それぞれが異なる意味として捉えている言葉である。また、言葉の意味はその人の心情や記憶によって左右されるため、こうした言葉を使って会話をすると衝突が生じることがある。
なぜこのようなトラブルが発生してしまうのだろうか。それは、私たちが言葉には自分が感じている1つの意味しかないと無意識に思い込んでいるからである。そのために、自分の感覚を基準にして言葉を選んだり、相手が発した言葉を解釈してしまうのである。
「頑張ってね。」という言葉を例にとってみる。私は大勢の観客の前でプレゼンテーションをしたことがあった。その発表の直前に、友人から笑顔で「頑張ってね。」と言われた時は、友人が自分を応援してくれていると感じとても嬉しかった。しかし学校で勉強がはかどらず悩んでいた時に、同じ友人から「頑張ってね。」と言われた時は、嬉しいどころかむしろプレッシャーに感じてしまい、何も返答をしなかったため、友人は不愉快そうな表情をしていた。
このように、相手と言葉を共有できない状況を回避するためには、自分の中に豊富な言葉を蓄積しておくべきである。たしかにメールなどを使えば絵文字やスタンプを押すだけで自分の感情を表現でき、コミュニケーションを図れるので、言葉の蓄積は必要ないと言う人もいるかもしれない。しかし私は、相手の状況に応じて言葉を選び表現し合うことこそが、真のコミュニケーションであると考える。多様なコミュニケーション手段がある現代であっても、言葉で正しく自分の意見を伝え、正しく相手の言葉を理解する力が求められているのである。
以上のことから、私たちは自分の感情や意見を表現するために、積極的に言葉を使い、伝わり方や解釈の仕方について日々学んでいくべきである。それにより、自分の言葉の引き出しが増えて相手と言葉を共有できるようになると考える。
【添削・アドバイス】共有できない言葉についての小論文
良い点
①例が具体的でわかりやすい
「頑張ってね。」のエピソードが具体的で、主張を読者に伝えやすくしています。
②論理の展開が明確
問題提起→原因分析→具体例→解決策→結論という流れが整理されており、読み手に理解しやすい構造です。
③自分の考えが明確に述べられている
言葉を豊富に使うことの意義が、筆者の体験を通じて強調されています。
改善のポイント
1.冒頭の表現を具体化する
最初の定義部分がやや抽象的です。「言葉の意味はその人の心情や記憶によって左右される」の具体性を補うと、イメージしやすくなります。
例:「例えば『ありがとう』という言葉一つでも、感謝を表すだけでなく、時には社交辞令として用いられることもある。このように、言葉は状況や話し手の意図によって異なる意味を持つ。」
2.「頑張ってね。」の例を深掘りする
エピソードは分かりやすいですが、相手の意図と自分の受け取り方がどう食い違ったのかをもう少し詳しく描写すると説得力が増します。
例:「友人は善意で言葉をかけてくれたのだが、私の状況や心境を十分に理解していなかったため、その言葉が私にとってはプレッシャーとして受け止められた。」
3.解決策を具体的にする
「自分の中に豊富な言葉を蓄積しておくべきである」という主張は良いですが、具体的な方法を補足すると説得力が高まります。
例:「例えば、本を読むことで言葉のバリエーションを増やしたり、相手の話を丁寧に聞く習慣を持つことで、状況に応じた適切な表現を学ぶことができる。」
4.結論部分を強化する
結論がやや簡潔すぎるため、もう少し踏み込んで主張を強調するとよいでしょう。
例:「こうした努力を積み重ねることで、単に誤解を避けるだけでなく、他者との信頼関係を深めることにもつながる。そのため、私たちは日々言葉を磨き、コミュニケーション力を高める必要がある。」
【全体修正案】共有できない言葉についての小論文
筆者が言う「おたがいのあいだに共有できないでいる言葉」とは、話し手と聞き手それぞれが異なる意味として捉えている言葉のことである。たとえば、「ありがとう」という言葉には感謝の意味があるが、時には社交辞令として使われることもある。このように、言葉の意味は話し手や聞き手の心情や記憶、状況によって左右されるため、こうした言葉を使って会話をすると衝突が生じることがある。
なぜこのようなトラブルが発生してしまうのだろうか。それは、私たちが言葉には自分が感じている一つの意味しかないと無意識に思い込んでいるからである。そのため、自分の感覚を基準にして言葉を選び、相手の発言を解釈してしまうのである。
「頑張ってね。」という言葉を例にとってみる。私は大勢の観客の前でプレゼンテーションをしたことがあった。その発表の直前に友人から笑顔で「頑張ってね。」と言われたとき、友人が自分を応援してくれていると感じ、とても嬉しかった。しかし学校で勉強がはかどらず悩んでいた時に、同じ友人から「頑張ってね。」と言われたときは、むしろプレッシャーに感じてしまった。その際、何も返答をしなかったため、友人は不愉快そうな表情をしていた。この例からもわかるように、同じ言葉であっても、状況や受け手の心情によって全く異なる意味に捉えられるのである。
このような誤解を回避するためには、自分の中に豊富な言葉を蓄積しておくべきである。たしかにメールやSNSでは絵文字やスタンプを押すだけで感情を表現できるため、言葉の蓄積は必要ないと言う人もいるかもしれない。しかし私は、相手の状況に応じて言葉を選び、表現し合うことこそが真のコミュニケーションであると考える。そのためには、本を読むことで言葉のバリエーションを増やしたり、相手の話を丁寧に聞く習慣を持つことが重要である。こうした努力を通じて、正しく自分の意見を伝え、相手の言葉を理解する力を養うことができる。
以上のことから、私たちは自分の感情や意見を表現するために、積極的に言葉を学び、伝え方や解釈の仕方を磨いていくべきである。それにより、単に誤解を避けるだけでなく、他者との信頼関係を深めることができる。多様なコミュニケーション手段がある現代だからこそ、言葉の力を活用し、豊かな交流を目指すべきである。
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